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渡会信介さん(しまやん)

【わたらいクリーニング・ぬまつー(仮)運営代表 】
祖父が経営していたクリーニング店を地域に開かれたコミュニティスペースとしてオープンさせた渡会(わたらい)さん〔以下:しまやん〕。沼津をとことん楽しむローカルメディア「ぬまつー」の代表でもあります。
沼津のまちづくりの中心人物として活躍するしまやんの原動力に、”子どもが育つ環境"という視点がありました!


保育や心理学を学んだ学生時代

——しまやんはまちづくりの主軸メンバーとして有名ですが、
子どもと遊んでるシーンをよく見ている気がして。
学生時代は保育や子どものことを学ばれたと聞きました。
そうそう。保育士になりたくて。
結局資格は取ってないんだけどね。
——保育系の専門学校に行かれたんですか?
いや、専門学校とか短大に行けば保育士とか幼稚園の先生になれるけど、資格だけ取るのは違う気がして、もうちょい幅広く勉強してみたかったから大学に行ったんだよね。
大学入ってからは心理学を勉強しました。
——心理学ですか。
そう。発達心理の先生がいるところに行って。
で、最終的に社会学の先生について、そこで卒論を書きました。
——子どもと関わりたいという気持ちは昔からあったんですか?
中学生くらいのときには子ども好きで、
中学校の職業体験のときには保育園行ってたんだよね。
——へえ~!中学生男子が保育園選んでくれるのって個人的になんか嬉しい。

毎日つまんなくてグレそうになる

そしてスケボーやBMXに出会う


——しまやんの子ども時代はどんなでした?
小学生のときは、よく友達とケンカしてたんだよ。
でも自分のなかでは理由があったような気がする。
それを親が話を聞いてくれたんです。頭ごなしに怒るんじゃなくて。
——そうなんだ。
子どもの頃ってどうしても大人より知ってる世界や価値観の幅は狭いけど、それぞれの正義はあるんですよね。
そうなんだよね。
で、そんなことしてたから友達に距離を取られるかもしれないと思ったんだけど、久しぶりに学校行った時に一緒にいた友達がいつも通りでいてくれたんだよね。嬉しかったな。

——親や友達がどう接してくれたか、今も心に残っているんですね。
中学校以降はどんな感じだったんですか?

中学はずっと野球をやってたんだけど、
高校入って野球をやめて、毎日つまんねえなーって。

で、なぜか声かけられて応援団に入れられたんだけど、
なんで俺が野球部を応援しなきゃいけないんだ、ってなって。
ガラスとか割っちゃったこともある。
もう毎日超つまんなくて、どんどんグレそうになる。
そんな時にスケボーに出会って、ストリートに出て街中に出会って、自分の居場所を見つけて毎日楽しくなってったんだよね。

——スケボーはどうやって出会ったんですか。
もう単純に雑誌見てかっこいいなと思って。
仲間とその辺で練習してたら、年上の全然知らない先輩が一緒にやろうよって言ってくれて。
——声をかけてくれるんだ。
すごい狭い世界だから、やってるやつがいると声かけちゃうんだよね。

——そこで仲間ができるんですね。
そう。高校生活モヤモヤしてたんだけど、高2の時にbmxの居場所ができて、このまま野球に未練があったままくすぶってるのはダメだなと思うようになった。
それでもう1回応援団に戻らせてもらって。
坊主にするのも嫌だったけど最後坊主にして野球部を応援したんだよね。
そのときに「自分は友達に成長させてもらったな」と思ったな。
BMXやスケボーを通じて今も繋がる仲間

——なるほど。もう少し詳しく、どんな経緯で「くすぶってちゃダメだな」という心境の変化が起きたのか聞きたいです。
ストリートで出会った先輩から諭されたことはあったですか?
それは全然無いです。
その先輩たちみたいにストリート系って、学校でも会社でもないところで集まってる。
ストリートにたまりに来ちゃう、コミュニティを勝手に作っちゃう人たち。

自分らしさ、スタイルを持ってる。
人は人で違ってもいい。
——うんうん。
そういうのでもいいんだっていうのを知ったら、
高校の学校生活も違う風に見えてきたのかな。
当時はあんまり考えてなかったけど、確かに変わっていった。


子どもたちに伝えたいのは

挨拶すること、転んだやつこそ上手くなること

いまbmxをいろんな施設で教えてるけど、技術を教えたいってのはあんまり思ってなくて。
挨拶はちゃんとしよう。こんにちは、おはよう、何かしてもらったらありがとうございました。誰かが技できたらみんなで握手しようぜとか。
そういうのが言いたくてインストラクターをやってる。
——コミュニケーションを大事にしてるんですね。
うん。
俺がラブライバーだったら、多分ラブライブで同じことやってるし。
自分の経験してきた中ではストリートスポーツだったけど、別になんでもいい。
——自分が好きなことで語り合う時って年齢が関係なくなる気がします。
しまやんと対等に喋れる、一緒に喜びを分かち合える。
俺の好きなスケボーのレジェンドでランス・マウンテンって人が
「俺は、誰か相手がいて勝ち負けがある競技がやりたいんじゃないんだ。自分のスタイルを出したい。スケボーの良さはそこなんだ」って言ってて。
心に刺さった。
多分大体のスポーツは大人が勝っちゃうんすよ。走るとか力がいるものとか。
スケボは子どもが勝っちゃうときも結構あるし、大人でも子どもでも、技ができたときはみんなで盛り上がる。
技ができた時の達成感ってやってるやつらだからわかる何かがあるんですよ。
——オリンピックのスケボの競技の動画を息子が見てたんですが、
その一体感がすごいなって感じました。
転んじゃったとしても、技ができたとしても、どんな演技だったとしても、
イエー!ってみんなで称え合ってました。
そう。
スケボーもサーフィンもbmxも基本転ぶのが当たり前で。
むしろ1番転んだやつがうまくなる。
転んで転んで上手くなるんだっていうのは子どもたちに伝えたいことかな。
——ちい/失敗や間違いが許されない雰囲気だと怖くなって挑戦できなくなっちゃう。
失敗してももう1回やればいい!って空気感を肌で感じられたら、失敗や間違いの捉え方も変わってきますね。

まさにその通りで。
スケボもbmxも競技時間決まってんすよ。
例えばスケボーだったらbmx2分間で競技者の得意な技とか激ムズな技とかに挑んだときにギリギリで転んだとしても、2分終わってんのに、もう1回!もう1回!って言ってその技を成功するのをみんな見たくて。
競技時間とか関係なく見たいってなる。
そういうのが結構好きなんですよね。
それは実社会でも置き換えられると思ってるし、子どもたちにそういう風に言ってあげられるおっさんになりたいな。
——うんうん。

もうやばいってなったときに

思い出してもらえる大人でいたい


遊びに来た子と椅子を作ったりひまわりを植えたり

大学行く時は保育士になりたかったんだけど、本当にやりたいことってなんだろうって考えたら、自分と同じように迷ったりちょっとダメになりそうだったやつがいた時に、俺の親やbmxの先輩が話を聞いてくれてたようなことがやりたいと思ったんだ。

学校以外のところで自分の居場所持つのが俺の中で救いだった、それをやりたいんだとしたら俺は『先生』じゃなくても、できるな。ってことに気づいたんです。
自分が好きなbmxに携わりながら、10代前後や20代のbmxに関係してる子供たちと接する中で、俺が居場所になることもできるんじゃないかなと。

——わたらいクリーニングは昔から考えてたことが実現した場所なんですね。
そうっすね。
ちなみにはぐくむ人の「子ども」って何歳くらいを指すんですか?
——当初は乳幼児期から小学校低学年くらいまでを対象にしてました。
保育園や幼稚園などの人格形成期から学校に入って環境が大きく変わった時に、学校という国の制度とは違った居場所や時間軸もあるよというのを伝えたくて。

ただ高学年になったら急に子どもじゃ無くなるわけじゃないから、大人になっていくまで見続けてるんだって人の話も聞きたいと思っています。
なるほどー。
俺がやりたい『わたらいクリーニング』ってこれからだと思うんですよね。
どう動かしたら子どもたちと俺が出会う機会を作れるかなと思っていて。
小さいうちから顔見知りになってて、高学年くらいになっていろいろ多感なときに「もうやばい、どうにもなんねえ、誰にも言えねえ」ってなった時に、しまやんのところ行こうって思い出してもらえたら最高。
——母ちゃんにも言えないことしまやんなら言えるみたいな。
そうそう。別に『しまやん』だけじゃなくていいんだけど、聞いてくれるおっさんいたよな、ぐらいに思っててくれたら嬉しい。
——確かに。そのときの気分に合う大人がいたらいいですね。
母ちゃんなんもわかってくんねえからって他の人が話聞いてくれるのは嬉しいね。
息子の言うこと、できるだけ受け入れたい気持ちはあるけど、自分の知識もキャパも限界がある中で、子どもの頭に親以外の大人の存在が浮かぶってのはありがたいことだなと思います。
それからなるべく、ここ(わたらいクリーニング)に来てくれたりとかbmxで会った子たちは関係性を築きたいから名前で呼ぶようにしてるんだ。
相手も小学生の時は「ちょっと面白い兄ちゃん」、中学生ぐらいになってくると「まちの先輩」みたいな感じになってくる。
俺が20代前半の頃にスケボ教えてた子が俺のことを呼ぶ時に、中学生のときは「しんちゃん」って呼んでたくせに、だんだん「わたらいくん」ってなって、いまは「わたらいさん」。
あれが単純に嬉しい。成長を見ていける。
——呼び方がだんだん変わる関係性、すごくいいですね。
そういう関係性でいてあげられるような大人がいたら、辛くてたまらないことが起きた時、もしかしたら手を差し伸べてあげれるかもしれない。
——うんうん。
それが俺はストリートの先輩たちにしてもらった。
自分の経験から、そういうコミュニティが大事だってのがわかった。
だからbmxの話もたくさんしたけど、ストリートやスポーツやってなくても関われる形があるといいなと思ってる。
だからね、最初に言った「先生って形じゃないけど自分がやりたかったこと」が詰まってるのがこの場所(わたらいクリーニング)。

ぶっ倒れて自分がやりたいことと向き合った


——わたらいクリーニングって見回すと、子ども目線の要素が散りばめられていますよね。
家具もおもちゃやゲームも。
ごちゃごちゃしてるよね笑
けん玉やりたいときも、ゲームやりたい時もあるだろうし、なんでもありでごちゃごちゃしてていいかなって。
——わたらいクリーニングが動き始めたのはいつですか?
片付けやり始めたのは4年前なんだけど、その1年前にぶっ倒れたんですよ
——え!!
入院してる時に俺は何がしたいのかなって考えたときに、ここ(わたらいクリーニング)を使って、ちょっと社会から外れそうになってるやつらと接点を持ってるような場所。
俺が駅前でbmxとかスケボをやってたときみたいな居場所をやりたいなと思ったんですよ。
——ベッドの上で考えてたんだ。

そう。病院でずっと書いてたノートがあって。
これ誰にも見せてないんだけど、うわこれ恥ずかしいな。
これもこれもまじで。調子いい感じの書いてんだ。

俺はなんなの、俺ってなんでこれをやりたいのって。
クリーニング屋の図面とか事業計画とか。
——めっちゃ書いてる。
最初はここを全部ぶっ壊して更地にして、キッチンカー的なやつとコンテナ突っ込んで公園みたいにしようかなとか。
固定資産税がどうとか知らなかったからね笑
——夢ノートだね。夢が詰まってる。
ほんとそうなんですよ。

「だれかやって」じゃなく「自分達でやろうぜ」って言える機会を

高校生と一緒に作った作品。"クリーニング"らしくハンガーを使った

これからの世の中で生きてくときに、自分でいろんな仕事を持っとくのもありだよね。
俺はなんでも中途半端だねとか言われるけど、むしろ中途半端を極めたら他にできるやついねえだろう。
そういう感じを子供たちに知っといてほしい。そうやっても生きてけるじゃんって。
——仕事でも趣味でも、気持ちを豊かにするものがいくつか自分の中にあるっていうのは、すごく救いなりますよね。
うん。
でも難しいなと思うのは、何かを知ったりコミュニティに加わったりするにはやっぱり自分が一歩を踏み出すことが大事だなと思うし、反面、誰でもウェルカムにしたい、辛いときに話しに来てほしい気持ちもあるし。
それは日々葛藤しながら考えてる。
——自分が一歩踏み出すのが大事、とは子ども自身が人生の当事者性をちゃんと持つ、みたいな話かな。
俺はいまは自分なりに動いてるけど、サラリーマンの時は全然こんなんじゃなかった。人まかせにも人のせいにもするやつで。
俺のきっかけはぶっ倒れたことだったけど、他の人はどうなのかなって。
お二人はどんな感じですか?
——ちぃ/私は大人になるまでは、人のせいとかこうだったらいいのになんでやってくれへんのみたいな人間で。相模原に住んでたときに入った子育てサークルで自分でやりたいことまわりと話し合いながら、どんどん動いているママがいて、こんな人になりたいなと思ったのがきっかけですかね。
——ゆうこ/私は大学で建築の勉強したところからかな。
小さい頃は学級委員とか生徒会をずっとやってたんだけど、高校でそういうのから解放された時に自分の好きなことを見つめ直すことができたかな。
大学のときは、課題に対してそれぞれが設計するんだけど、学生みんなコンセプトも建築の形もプレゼンの表現も全然違うの。
先生たちも評価軸が人によって全然違うの笑
そこで「自分が求めるもの」ってのをとことん追求した時間があったなと思う。
そう考えると、子供たちがなにか経験できる場が大事かもしんないよね。
——そうですね。人と出会って、自分が動いて、それが何か形になるような。

うんうん。改めて考えてみるとそれだわ。
居場所とか、話聞いてあげるような場所も必要として、
その上で自分が主体的に動いて「これ欲しいよ、だれかやって」じゃなく「自分達でやろうぜ」って言える機会。
自分でやってみると変わるんだ、みたいな体験ができる機会を作るのはすごくいいかも。
それこそまちづくりでもいいしさ。 ま、まちづくりって未だによくわかんないけどね。
——ゆうこ/私、以前大岡中でまちづくりの授業にアドバイザーとして参加させてもらったんだけど、どの案も具体的で思いがこもっててすごく良かったですよ。
なるほどねー。なんかちょっと分かってきた。
大人たちもチャレンジする。その背中をみせたいがためにここがやりたいんだろうな。
——うんうん。
お前やってみろよじゃなくて。
まずはそういう大人が集まってて大人の背中を見せる。それで子どもたちも一緒の場にいる。
——その試行錯誤でもがいてる姿もちゃんと見てもらったらいいですよね。
中学生、高校生くらいの、もうこれから自分の将来をうっすら見なきゃいけないなって思ってきた時に、そういう大人と出会うと視野がすごく広がる気がする。
まあ、どこまでこんな生活とか考えを見せていいものかはわかんないけどね。
社会とか勤めることとか、それこそちゃんと挫折することも大事だし、
何が正解なのかはわからないけどね。

こどもたちが高校生になったとき

自分とどうやって遊んでいるか考える



今まちのことを色々やっててもすぐには変わんないから、10年後、娘と何してたいかとか考えたりしてる。
——ちぃ/10年後、、高校生になった息子を全然想像できないんですけど、
例えばどういうこと考えますか?
俺が思ってんのは、どうなってほしいなっていうよりは、俺はどうやって遊ぶかなって。
たとえばゆうこりん(ゆうこ)の子どもが高校生になったとき、
普段は勉強めっちゃ頑張ってるけど、
ときには俺と一緒にリビングブルー※ やってるかもしれないなとか。
(※沼津初のキャンプイン音楽フェスティバルのこと。しまやんは実行委員)

ちょっとグレたら、俺、怒ってるかもしれないなとか。

色々想像してると楽しいんですよ。
——子どもにもまちにも関わり続けていくイメージを持っているんですね。
最近のテーマは孫なんだよね。
孫とこの街で何してたいかなって思うようにしてて。
だからスケボーパークが欲しいって活動もしてるんすけど、別にスケボーうまいやつを育てたいわけじゃなくて、自分の孫と将来、ちょっとでも自分が関わったスケートパークに、孫と調子いい格好してスケボしに行くのが楽しみ。
そのために頑張れる。
——なるほどなるほど。

最初から最後まで俺が行政に働きかけて作れるとは思ってない。
だからもうちょい下の世代に自分が動けば物事も動いていくんだぞっていうのを見せるために今動いてるって感じかな。
「後から効いてくる」くるっていうのを俺はずっと言ってて、
15年後、20年後、
そういう時間の見方が大事な気がする。


(編集後記)
普段は「子ども」という切り口での活動をされているわけではないので何から聞いたらいいかなと思っていましたが、自分の子ども時代の経験をもとに、これからの子どもたちへの思いが、
しっかりと一本の軸になっていました。

ときに私たちの言葉も聞きながら、じっくり考えて話してくれて、
この悩んでいる、葛藤している姿は、真摯に未来づくりに取り組んでいるからこそなんだろうなぁと感じました。日々葛藤ですよね。
2時間半の長時間インタビュー、ありがとうございました!
わたらいクリーニング/ぬまつー(仮)基地
沼津市高島町28−15 不定期オープン・イベント利用可 詳しくはinstagramをご確認ください

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