【FORESTE-Kids Creative Village-】

-------- 放課後スクール FORESTE-Kids Creative Village-を運営するあゆみさん。そのきっかけで(有)サンディオスの社員となり教育事業部門も担当されています。
軸はふたつ、[人の多様性を大切にすること。経験をたくさんすること。]
子どもたちの「いま」も「未来」も豊かなものにしていきたいという気持ちが伝わってくるお話です。 --------
海外の多様なルーツを持つ人たちと過ごした経験から
“個”を大事にできる先生を目指そうと決意
――あゆみさんは元小学校教諭とのことですが、学校の先生になろうと思ったのはなにかきっかけがありましたか?
私が10代の頃、NLC(沼津リーダースクラブ)という、沼津の中高生が中心となって小学生向けに色々と活動をしているグループに所属してたの。
高校生の時に小中学生リーダー研修の総括をやって。役割的には学校の先生みたいな。
そこでみんなで集まって計画を立ててる時に、小学生の子へアクションを起こすことで成長していく姿を見たのね。
その時に子供の成長に携わりたいって思った。
間近で子どもたちが成長していくのも見れるし学校の先生っていい仕事だなって。
――なるほど。目指す先生像みたいなものはあったんですか?
1人1人が何かに染まるとかじゃなくて、個性とか子どもの特性を活かしてあげられるような先生になりたいなって思ってた。

そのきっかけになったのが、大学生のときに参加した、内閣府がやってる「東南アジア青年の船」。
船に乗って日本と東南アジア10カ国の人たちと一緒に各国を巡りながらディスカッションする事業に参加したんだ。
そこで宗教も生まれ育った国も違う多様な人たちと一緒に過ごしたときに、みんなナチュラルにお互いを受け入れ合ってた。
何かに属してる自分っていうよりは1人1人の個だという感覚になったのね。
その時に「多様性」とか「個が大事にされる」というのを実感した。
そういうのっていいなって思って。
――肩書きや所属ではなく「個」同士の交流があったんですね。

あとアメリカ留学した時に、英語が完璧じゃない状態で向こうの教育学部の授業を受けさせてもらっていて、ほんとに先生が言ってることがわからなくって、かなり苦しい思いをしたの。
普通の教室の中で言うと、学習障害の子とか発達障害の子とかはこういう状態なんだよなって実感した。
その時に先生が苦しんでるのに気づいて、周りの生徒に「あゆみのことをケアしてくれる子はいないか」って言ってくれたの。毎回授業が終わった後にエクストラクラスみたいのを友達にやってもらえることになってね。
そういうのを自分が経験したからこそ、学校現場で苦しんでる子をケアしてあげられるかもって思った。
子育てが「個」を思い出させるきっかけに

――子どもを産んでから変わったことはありましたか?
それはとても大きかったな。
自分の子ども、食べられないものが多かったり、みんなと一緒に歩くのが苦手だったり、母子分離がなかなかできないことに直面したのね。
他の子はちゃんとやってるのに…。ってすごい悩んだ時に私、今までだったら大人とか外からの働きかけで子どもの表れをどうにでも変えられるって思ってたんだけど、自分の子育てをしてみたらその考え方って違うなって思って。
やっぱ、その子の生まれ持った個性なんだなって、実感したの。
自分の5年間の教員人生を振り返った時に、志持って頑張ってたけど、全然子どものこと重んじられてなかった。クラスを統率することに重きを置いていた部分があったな。って。
もちろんそれも大事なんだけど、どうしてもできない子どもに無理をしいてる時もあった。
それに気づいて、じゃあ自分のやりたかったことを自由にやりたい、そんな場所を作ろう!って思ってここができたんだよね。
経験することは人生の幅を大きくする

――自身の志を再度見つめ直してできたのがFORESTEなのですね。
ここで大事にしていることはどういったことですか?
ひとつは、経験。
経験すればするほど人生が豊かになる、人生の選択肢の幅が変わってくるっていうのはずっと思ってた。
だから、家でも学校でもなかなか経験できないものを提供したいなっていう思いで始めたのが、地域のいろんな人が教えに来てくれる、わくわくレッスン。
前にBMXのレッスンをやってもらったんだけど、今まで興味なかった子がここで1回やったことで、例えば次のオリンピックのときに「これ前にやったやつだ!」と興味が湧く。
さらにオリンピック出てみたい!と夢に繋がるかもしれない。
子ども自身が自分で見て聞いて体験することで物事を自分ごとに捉えることができるようになる。
――なるほど。それはなにかあゆみさんの経験から生まれた考えですか?
うん。私の場合は、ミャンマー軍事紛争が起こったときに「そうなんだ。大変だ。」で終わってしまうところを、私は東南アジアの旅でメンバーの人達と生活した経験があったからそのニュースを自分ごとに捉えたのね。
なんでそういう風になってしまったのか。
私の友達は大丈夫か。とか。
過去に経験したことによって、何か新しいことが起きた時に他人事にならず、自分軸で考えることができた。
――経験することで物事が自分ごとになる。 そうすると、関心の幅も広がってきて人生や考え方の選択肢も増えていくわけですね。
ひとりひとりの思いを汲み取った声のかけかた

――経験を重ねることで世界のあらゆることに興味が生まれていくのですね。
わくわくレッスンは多種多様なものを取り上げていますが、生徒みんなで取り組むのですか?
みんなで楽しんでやるときもあるし、やりたくないって子がいるときもあるよ。
――やりたくないという子にはどんな声かけをするんですか?
やりたくないときはやらなくていいよって。
自分もそうだけど、やりたくないと思ってやったことってあんまり身につかないから。
特に発達に凹凸がある子は、集団の中で同じことをするっていうのが苦手だったりするから。
初めは楽しくやってても途中で息苦しくなっちゃってもうやらないっていう時もあるから、そういう場合は終わりにしていいよって言ってる。
――やらなくてもいいという選択肢を作ってるんですね。
ただそれぞれの場合があって。
苔玉作りをしてたときに、1人の男の子が途中まですっごい熱心にやってたけど、もうやめたって途中で言ったのね。
最後毛糸巻くだけだった。
そのときに「どうする?やりたくなかったら別の時にやってもいいけど巻いたら可愛くなるよ。一緒にやるからやってみる?」って言ったら、じゃあやってみるって。
結局それで最後までできて、名前もつけてたね。
できた時の姿をイメージして、それ持って帰ったら楽しいな、という想像ができたからやっぱりやるってなったのかな。
――みんなでやるとなると、どうしても上手い下手を気にしちゃうときもありますよね。
うん。作品を作る時とかにうまくいかないからやりたくないっていう子もいる。ただ単にやりたくない子もいる。
――「やりたくない」のなかにもいろんな理由があるんですね。
そうだね。
だから、うまくいかなくてもここは大丈夫っていうのを丁寧に伝えてる。
今はそういう気分じゃないとかだったら「じゃあいいよ、またやりたくなったら入ってもいいんだよ」ってことは言えるけど、
それも結局1人1人を相当見て何度も言葉を交わさないと組み取れないからね。
子どもの方も言葉では一応いろんな理由をつけちゃったりするときもあるしね。
何がヒットするかわからないし、見てるだけでも経験

BMXのレッスンのとき、最初全然やる気がない子がいて。
でもそのときに先生として来てくれた17歳の青年と喋ってノリが合って、じゃあやってみるかって笑。
結局すごく楽しそうだったんだよね。
ほんと、その子の何にヒットするかわかんないなーと思う。
――乗り気じゃない体験をさせたほうがいいのかどうか、親としては悩む時がありますが、
しゃべることがきっかけで興味を持つこともあるんですね。
そうそう。だから無理にはやらせないけど、いたらいいことあるかもしれないから、いてみたら?
気持ちが乗ったらやれば?って感じかな。
他にもアイスを作った日に、来た時からずっと泣いてる子がいて。ほんとは作りたいんだけど気持ちが乗らなくて「やんない」ってずっと言ってたのね。
それで結局やらなかったんだけど、迎えにきたお母さんが兄弟の子にどうやって作ったのか聞いたら、泣いてた子が代わりに完璧に説明して笑
見てたんだ、と思って。
私もその時はやらせてあげられなかった、気持ちを切り替えさせてあげられなかったって罪悪感があった。
でも見ながら経験してたし、その子にとって拗ねてるとやりたいことをやれるチャンスを逃すんだっていう経験になったかもしれないじゃない。
だからその場にいてそういう感情を味わったり、やりたくないっていう感情を味わうっていうのも大事かな。
私が自分の子どもに対してだったら「やらなきゃ損するよ!」とか言っちゃうかもしれないけどね!笑
私にとってここの生徒さんは自分の子どもじゃないからこそ、どっちでもいいよって対応できるんだよね。
――その場にいるだけでも「経験」なんですね。
見てるだけでも経験だから。
体験、体感してなかったとしても、何かを感じてる。
感じることが大事かな。
――そもそも自分を振り返ってもどの過去の経験がどこに生きてるというのはあんまりわからないかも。いろんな経験の積み重ねが興味や感情を作っているのかな。

しまやん(BMXのわくわく先生)が教えにきてくれたときに「後から効いてくる」って言ってたの。
まさにそれだな。と思った。
今はわかんない、何のためになってるかとか。でも後から効いてくるんだよ。
――今日は〇〇というスキルができるようになったという話じゃなく、いつか何かに効いてくるきっかけをつくってるんですね。
うん。何がその子に火をつけるか、何にワクワクするかっていうのは本当にわからない。
だからこそ幅広くやっていきたいと思ってる。
コレと決まったものはないけど、むしろその幅の広さが軸というか。
いろんな体験の中で、こういうのもあるんだって気付ける。
お互いの違いに気づいて感じて
「ずるい」と思う気持ちも見つめて一緒に考える

―― 見学させてもらった時は、やらない子がいてもみんな気にしない感じでしたね。
最初の頃は、ちょっと悪いことしてる子がいたら気になってしまう子がいたり、みんなと一緒にやんなきゃダメだよっていう声かけをする子もいたよ。
そういうときには「今はやりたくない気分なんだね、みんなと一緒にやらなくてもいいって自分で思ってるからいいんだよ」っていうのを周りの子に聞こえるように言ったりする。
それで他の子がずるいって思わないようにすることを心がけてる。
あの子はあの子だから、あの子のペースでやっているっていう風に捉えてもらうために。
「個々のペースでやりたいことをやる」っていう感じの活動をしている。
――ずるいって思うってことは、自分もやりたくないのにやっているからなのかなあ?
そういうときもある。
でも、(ずるいって言うなら)一緒に遊んできていいよって言っても、レッスンやりたいって言ったり。
「サボってる」=ずるい、みたいな、そういう思い込みもある。
――なるほど。休んでることそのものがちょっと許せない気持ちになってしまうんですね。
私も小中学生くらいのときは、その感覚で生きてたと思う。
なんであの子はわざわざ輪を乱すんだろう、みたいな感じで。
うんうん、私もそうだったよ。
前に小学6年生の担任をやったときに、学力が追いつかなくて授業がもう全くわからないような子がいたの。
その子が膝のところで隠れて本読んでて、多分、授業辛いんだろうなと思って、
「教室にいてくれればいいよ」って言ったの。
そしたら同級生の男の子が後日、「先生はあの子のこと贔屓してる」って言われてたの。
すっごいショックだった。
「なんで私がああやって言ったと思う?」って聞いたら、
「甘やかしてるだけでしょ」って。
そのときに、周りの子に対する声かけが全然足りなかったんだなって思った。
周りを育てるというか。
そういうこともしなきゃいけなかったんだなって。
――なるほど。周りの感情も大事ですね。
他にも後悔してることがあってね。
1年生受け持った時に昼休みとかまとまった休み時間はできるだけ外で遊ぼうって学校でなってて。
クラスのなかに本を読んだり、1人で絵描いたりするのがすごい好きな子がいて、
でももう全員で外行くよって声をかけて、でもその子が教室で本を読んでいたいって言ったけど、私、無理やり外に出したの。
今思えばすごくかわいそうなことしてたなって思って。
いろいろ理由はあったとしても、もうちょっと丁寧に関われたなって。
それでも学校では基本的には、勉強のときは勉強しなきゃいけない。
みんなが外で遊ぶ時は外に出なきゃ行けない。
――うん。時間とやることが決まってますもんね。
それをやってくことによって社会に出る時に、約束事を守れたりする。
だから学校でそういうことをちゃんと教えるのは大事だと思う。
ただ個々への対応も大切にしたいなと思って。
――配慮が必要な子への対応っていうのはもちろん大事だけど、周りの子がそれを理解していくことも大事だというのを、今聞いていてすごく感じました。
「先生」と「その子」と「親」だけでどうにかしようとしてもしょうがないというか、世界や社会が理解を深めて柔軟に対応できる枠組みになっていく必要があるということなんですね。
うん。
あと、配慮が必要な子のことを頭では理解してても、もやもやするって気持ちもわかるんだよね。
だからさっきの話で私に対して言ってきた子は素直なんだよ。
――たしかに。思ったことをそのまま言葉にしたわけですね。
理解するだけでは難しい。
理解して、どう接したらいいか、どう共存したらいいのかっていうところをわかっていないと。

(つづき)
――互いにすべてを理解して"いつでも仲良く"しなきゃいけないというわけでもない。
誰かを傷つけることはしない方がいいと思うけど、感情的にもやっとすることを持ってても別にいいかなと。
そうだね。
そもそもマイノリティ/マジョリティって考え方じゃなくて、ほんとに個。
その子はその子。あなたはあなた。
そういうのがここで過ごしてる子たちには伝わるようにしている。
――みんな個なんだって思うと、一気に見える世界も変わってきますね。
難しいところだけど。
個のペースや思いも大事にしたいし、でも周りに迷惑をずっとかけていればいずれ周りに人がいなくなっちゃうから、この一線は守ろうっていうもの大事だしね。
バランスを考えようと思ってる。
――個が尊重されることも、ときには我慢を覚えることも。どっちかじゃなくてどっちも大事ですね。
特別扱いされている・ずるい・羨ましいのような、建前では言えないけど心のどこかに生まれてしまう気持ちこそ汲み取って適切な距離感や納得を作っていくことで前に進んでいくのかなと。
それには自分の考え方の軸が必要となるし、それを作っていくのがまさに「多様な経験」なのだと感じました。
ありがとうございました!
